こあらとFTM

更新日: 2021.01.9

髪を短く切りたいぼくと、三つ編みにリボンを結んでいたい母。髪型を巡っての長きにわたる攻防戦

こんにちは、コアラ顔の旅人兼会社員、時々ライターのこあらです。

最近毎日のように、もはや配給かのように、大家さんからドラゴンフルーツをいただきます。
「ただいまー!」と帰ると「あら、おかえりー!」とニコニコしながら、ドラゴンフルーツを差し出してくれる大家さんに、日々優しさとビタミンを補充されております。

あ、ドラゴンフルーツは、これですね。

見た目は強そうですが、アタマの緑のうねうねっとしたところから、べりっと手で剥けちゃいます。

べりっとやったら、そのまま丸かじりしちゃうのが、こあらスタイルです。
ただ、なんだか日に日に、いただくドラゴンフルーツがでかくなってきていて、丸かじりがきつくなってきました。そろそろ、ドラゴンフルーツから滴る果汁の滝に溺れそうです。

そんなこんなで今日も、こあらんど、はじまるよー!(唐突)

ヘアスタイルをめぐる母と子の攻防戦

さて、そんな今日は、プロフィールでも予告していた、「ヘアスタイルをめぐる母と子の攻防戦」をお送りしたいと思います。
実家を出てから、髪型も髪色も散々いろんなことやりましたが、この時代の反動もあったのだろうなぁ。

母の着せ替え人形だった幼少期

ぼくは、年の離れた3兄弟の末っ子として産まれ、おまけに2歳のときの交通事故の影響もあったのか、箱入りどころか重箱入りで育てられました。

そのためか、小学校に上がるまでの行動範囲は、それはそれは狭いものでした。
こどもの足で5分の幼稚園バスの停留所と、徒歩3分圏内にあった幼馴染の家が3つ、そして同じく徒歩3分の小さな公園くらい。

ちっぽけな世界で、のんびり暮らしていたそのころのぼくは、伸ばした髪をリボンで束ね、謎のフリフリ(あれ、なんていうの?)のついた洋服を着せられた母の着せ替え人形でした。
当時はまだ、女であるとか男であるとか自分が何者かなんて考えたこともなければ、自己主張もしなかったので、フリフリ、ヒラヒラみたいなのが好きな母にされるがまま。

小さいころのぼくは、親に駄々をこねたりすることが無く、誰に言わせても手のかからない子どもでした。
それは、母がぼくに求めているのは、「お兄ちゃん」のような「おりこうさん」であることを、日々の端々から感じ取っていたからだと思います。

ぼくは、いい子であったわけではなく、おそらく「いい子を演じている」子どもでした。

胸が痛くなる「いい子」エピソード

親戚のおばさんから聞かされたこんなエピソードがあります。

ぼくは2歳の時、交通事故に遭い入院をしました。
親戚のおばさんは、とてもかわいがってくれていたので、当時何度も何度も病院へお見舞いに来てくれていたそうです。

何度目かのお見舞いの日、院内が食事の時間になり、廊下からは、少しずついい匂いが漂ってきました。
同室の患者さんのところにも、順番にご飯が運ばれてきます。

しかし、腸を損傷していたぼくは、絶食状態。朝も昼も夜も、ぼくにはご飯はありません。
その時2歳(3歳?)のぼくは、「食べたい」と駄々をこねるわけでもなく、泣きわめくでもなく、目に浮かんでくる涙をグッとこらえて、ただ静かにベッドに座っていたそうです。

この話を聞かされるたび、母たちは得意げに笑って「いい子だった」と言いますが、ぼくはなんだか自分がとてもかわいそうになります。
それは、こんな小さなときから、いろんな思いを飲み込むことを覚えなくてもよかったのに、と思ってしまうからかもしれません。

呼吸をし始めた着せ替え人形

極度の人見知りで、おとなしく、口数の少ない子どもだったぼくは、小学校に上がってからも、ひっそりと過ごしていました。
そんなぼくが少しずつ変化していったのは、学校の裏にあった森がきっかけの一つでした。

重箱入りで育ったぼくは、ちょっと走ったり飛んだりするのも、危ないからやめなさいと止められていました。
しかし、学校にいる間は母の目は届きません。

休み時間に森をかけまわるようになり、木から吊るされた縄を使ってターザンごっこをするのが日常へと変わっていきました。
雨が降った次の日には、ターザンの途中に縄から手を滑らせ、落下して笹やぶに突っ込んだり、濡れた葉っぱや枝に足を滑らせて、坂道を転げ落ちたりすることもありました。

そうして自然に囲まれて走り回っているうちに、やっと「ぼく」は呼吸を始めたのです。

それまで抑制されていたパワーが放出され、本来の自分の感情や欲望も比例するように沸きあがり、大人しくひっそりと過ごしていた小さな女の子は、森をかけまわるおてんばな野生児へと成長を遂げていきました。

そんな日々を過ごす中でぼくは、母の趣味で着せられていた服や、長い髪に、日ごとに嫌気がさすようになっていったのです。
と言っても、性別の間で悩んでいたわけではなく、単純に好みが母とは合わないんだと、この頃は思っていました。

床屋デビューと対立

小さな町の床屋さん

小さいころは、髪を切るのは母でした。
髪を切る日がくるたびに「もっと短くしたい」と頼み込んでみても、長い髪が好きな母は、頑として聞き入れてはくれませんでした。

前髪がジグザグでもなんでもありの幼少期を過ぎ、さすがにプロでも何でもない母の手では難しくなってきたのか、ある日「予約したから、床屋さんに行っておいで」と母が言いました。
これはチャンスかもしれない!と、ぼくはスキップでもしそうな勢いで、学校までの通り道にある床屋さんへと出かけました。

母以外に髪を切られるのが初めてで緊張しながらも、今日こそは髪を短くするんだ!とドキドキとワクワクが混じり合うぼく。
田舎なので顔見知りのおばさんがやっている小さな床屋さんには、鏡に向かって、2つだけ椅子がおいてありました。

窓側の椅子に座ると、ぼくにケープをかけながら、おばさんが声をかけてきます。

おばさん「お母さんに聞いたけど、揃えるくらいでいいんだよね?」
ぼく「えっ?あ、えっと、短くしたいです。」
おばさん「でも、お母さんは切らないでいいって言ってたよ?」
ぼく「はい、でもいいんです。切りたいです。」
おばさん「うーん、じゃあ、間をとって肩くらいにしようか」

希望通り、とはいきませんでしたが、鏡越しに大胆に動き回るハサミをじっと見つめながら、ぼくは笑顔を浮かべていました。

帰宅。説教。対立。

ギリギリ肩につくかつかないかの長さになった髪をなびかせ、足取りも軽く家路につくぼく。

しかし、爽快な気分は長くは続きませんでした。
徒歩5分の道を鼻歌まじりに帰宅したぼくの、お世辞にも長いとは言えない髪を見て、母の雷が落ちたのです。

「どうして短くしてきたの」
「ちゃんと言っておいたのに、なんでおばさんはちゃんとしてくれなかったんだ」
「あのおばさんはダメだ」

次々と、そんな言葉が母から繰り出されます。
ぼくのせいで、古くから知っているおばさんまで悪く言われてしまったことが、ぼくにはとてもショックでした。

乗り込んだのは隣町の美容室での大事件

それから月日が経ち髪も伸びて来た頃、近所のおばさんのところでは、母の着せ替え人形からの脱却が難しいと思ったぼくは、次の手を考えました。

母の知っている人じゃだめだ、家族が行ったことのないお店にしよう。
そう思って探したのが、自転車で2、30分くらいの距離にある隣町の美容室でした。

学校帰りに美容室へと向かい、今度こそ憧れのショートカットになるんだ!と意気込んでいたぼく。
今回は、母も来たことがないはずのお店で、ついに願いは叶うはずでした。

しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
ぼくが着くより前に、母からお店に電話が入っていたのです。

母に美容室の名前は伝えていませんでした(自分でも覚えていなかった)が、帰りは遅くなるからと、美容室の近くまで母が迎えにくることになっていました。

あとになって考えると、田舎なので隣町には数えるほどしか美容室なんてなかったし、それこそ迎えにくる場所のあたりにあるお店なんて、2、3つだっただろうから、お店を推測することなんて簡単だったと思うのですが、当時のぼくを絶望させるには十分な大事件だったのです。

そうして似たような展開が何度か続き、攻防戦は母に軍配が上がり続けたまま、ぼくは小学6年生になりました。

バレー少年団との出会い

6年生になった時、新しく赴任してきた先生が担任になりました。
※余談ですが、ぼくの学校は1、2年、3、4年、5、6年と担任は基本持ち上がりだったのですが、退職やら異動やらが重なり、ぼくは6年間毎年担任の先生が代わっていました。

新しくやってきた先生は、「バレー少年団を作ろうと思っている」とぼくらに話してくれました。

それまでバレーをやったこともなければ、ほとんど見たこともありませんでしたが、休み時間や放課後にずっとやっていたサッカーは、少年団に入ることもできず、4年生の時に入っていたミニバスケットボール部も1年で無くなってしまい、もてあましていたぼくは、すぐに興味を惹かれていきました。

ほどなくして少年団が創設され、ぼくは数人の同級生とともに、すぐに入団。
バレーのバの字も知らずに始めたぼくでしたが、どんどんバレーが好きになり、学校でも家に帰ってきてからも、バレーに明け暮れる日々が始まりました。
と言っても、もともと運動が得意ではないので全然うまくはならず、しかし持久力だけはひたすら進化していく日々。

そんなぼくの毎日を見ていた母は、「髪もうちょっと長くしたら?」とか「もっとかわいい服着ればいいのに」と相変わらず言いはするものの、美容室に電話をしてまでぼくの髪型をコントロールすることはなくなっていきました。

こうして意外なきっかけで、髪型をめぐる攻防戦には終止符が打たれることとなったのです。

しかし、これ以降も事あるごとに「そんな格好してないで女の子らしくしなさい」「またそんなに髪短くして・・・」とこぼすのは止まらず、それはぼくが25歳になって母にカミングアウトするまで続いていくのでした。

おわりに

今日もこあらんどをお読みいただきありがとうございます。
だいぶ端折ってしまいましたが、気付けば4000字ほど書いていたようです。笑

今となっては笑い話であり、ネタでしかないですが、当時名前も伝えてなかった美容室に電話が来ていた時は、恐怖で震えました。

あの頃の反動なのか、高校卒業して実家を出てからは、相当いろんな髪型にチャレンジしたし、神奈川に引っ越してからは金髪、ブルー、アッシュ、赤などなど染めまくりましたが、実は今でも美容室に行くと、母から電話があるのでは・・・とどこかで思っているぼくがいます。

さて、それでは、今日はこの辺で終わりにしようかな。

次回のこあらんどは、日本への一時帰国が近づいているので、それに関することを綴る予定です。

それじゃ、またね。

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