こあらとFTM

髪を短く切りたいぼくと、切らせたくない母の長きにわたる攻防戦【前編】

こんにちは、コアラ顔の会社員兼フリーライター、こあらです。

 

最近毎日のように、もはや配給かのように、大家さんからドラゴンフルーツをいただきます。

「ただいまー!」と帰ると「あら、おかえりー!」とニコニコしながら、ドラゴンフルーツを差し出してくれる大家さんに、日々優しさとビタミンを補充されております。

 

あ、ドラゴンフルーツは、これですね。

 

見た目は強そうですが、アタマの緑のうねうねっとしたところから、べりっと手で剥けちゃいます。

べりっとやったら、そのまま丸かじりしちゃうのが、こあらすたいるです。

ただ、なんだか日に日に、いただくドラゴンフルーツがでかくなってきていて、丸かじりがきつくなってきました。

そろそろ、ドラゴンフルーツから滴る果汁の滝に溺れそうです。

 

さて、そんな今日は、プロフィールでも予告していた、【ヘアスタイルをめぐる母と子の攻防戦、勝利の女神はどちらに微笑む?】の前編をお送りしたいと思います。

実家を出てから、髪型も髪色も散々いろんなことやりましたが、この時代の反動もあったのだろうなぁ。

 

それでは、こあらんど、はじまるよー!

仮面をかぶった着せ替え人形

ぼくは、年の離れた3兄弟の末っ子、おまけに2歳のときの交通事故もあってか、箱入りどころか重箱入りで育てられました。

そのためか、小学校に上がるまでの行動範囲は、それはそれは狭いものでした。

こどもの足で5分の幼稚園バスの停留所と、幼馴染の住んでいた3分圏内の家が3つ、そして同じく3分の小さな公園くらい。

 

ちっぽけな世界で、のんびり暮らしていたそのころのぼくは、伸ばした髪をリボンで束ね、謎のフリフリ(あれ、なんていうの?)のついた洋服を着せられた母の着せ替え人形でした。

当時はまだ、女であるとか男であるとか、自分が何者かなんて考えたこともなければ、自己主張もしなかったので、フリフリ、ヒラヒラみたいなのが好きな母に、いつもされるがまま。

 

小さいころのぼくは、親に駄々をこねたりすることが、あまり無い子どもでした。

それは、母がぼくに求めているのは、「お兄ちゃん」のような「おりこうさん」であることを、日々の端々から感じ取っていたからだと思います。

ぼくは、いい子であったわけではなく、おそらく「いい子を演じている」子どもでした。

 

親戚のおばさんから聞いたこんなエピソードがあります。

 

ぼくは2歳の時、交通事故に遭い入院をしました。

親戚のおばさんは、とてもかわいがってくれていたので、何度もお見舞いに来てくれていたそうです。

 

食事の時間が近づき、廊下から少しずついい匂いが漂ってきて、同室の患者さんのところにも、順番にご飯が運ばれてきます。

しかし、腸を損傷していたぼくは、絶食状態。朝も昼も夜も、ぼくにはご飯はありません。

 

その時ぼくは、「食べたい」と駄々をこねるわけでもなく、泣きわめくでもなく、目に浮かんでくる涙をグッとこらえて、ただ静かにベッドに座っていたそうです。

 

この話を聞かされるたび、母たちは嬉しそうに、「いい子だった」と言いますが、ぼくはなんだか自分がとてもかわいそうになります。

こんな小さいときから、いろんな思いを飲み込むことを覚えなくてもよかったのに、と思ってしまうからかもしれません。

呼吸をし始めたお人形の成長のゆくえは・・・

極度の人見知りで、おとなしく、口数の少ない子どもだったぼくは、小学校に上がってからも、
しばらくの間は、ひっそりと過ごしていました。

 

そんなぼくが少しずつ変化していったのは、学校の裏にあった森がきっかけの一つでした。

重箱入りで育ったぼくは、ちょっと走ったり飛んだりするのも、危ないからやめなさいと言われていましたが、学校にいる間は母の目は届きません。

休み時間に森をかけまわるようになり、木から吊るされた縄を使ってターザンごっこをするのが日常へと変わっていきました。

 

雨が降った次の日には、ターザンの途中に縄から手を滑らせ、落下して笹やぶに突っ込んだり、濡れた葉っぱや枝に足を滑らせて、坂道を転げ落ちたりすることもありました。

そうして自然に囲まれて走り回っているうちに、やっと「ぼく」は呼吸を始めたのです。

それまで抑制されていたパワーが放出され、本来の自分の感情や欲望も比例するように沸きあがり、大人しくひっそりと過ごしていた小さな女の子は、森をかけまわるおてんばな野生児へと成長を遂げていきました。

 

そしてぼくは、母の趣味で着せられていた服や、長い髪に、日ごとに嫌気がさすようになっていったのです。

初めての床屋さん

小さいころは、髪を切るのは母でした。

髪を切る日がくるたびに「もっと短くしたい」と頼み込んでみても、長い髪が好きな母は、頑として聞き入れてはくれませんでした。

 

髪の毛がジグザグでもなんでもありの幼少期を過ぎ、さすがにプロでも何でもない母の手では難しくなってきたのか、ある日、「予約したから、床屋さんに行っておいで」と母が言いました。

これはチャンスかもしれない!と、ぼくはスキップでもしそうな勢いで、学校までの通り道にある床屋さんへと出かけました。

 

母以外に髪を切られるのが初めてで緊張しながらも、今日こそは髪を短くするんだ!とドキドキとワクワクが混じり合うぼく。

田舎なので顔見知りのおばさんがやっている小さな床屋さんには、鏡に向かって、2つだけ椅子がおいてありました。

 

窓側の椅子に座ると、ぼくにケープをかけながら、おばさんが声をかけてきます。

おばさん「お母さんに聞いたけど、揃えるくらいでいいんだよね?」

ぼく「えっ?あ、えっと、短くしたいです。」

おばさん「でも、お母さんは切らないでいいって言ってたよ?」

ぼく「はい、でもいいんです。切りたいです。」

おばさん「うーん、じゃあ、間をとって肩くらいにしようか」

 

ぼくの希望通り、とはいきませんでしたが、鏡越しに大胆に動き回るハサミをじっと見つめながら、ぼくは笑顔を浮かべていました。

 

後編へ続く

おわりに

こあらんど、お読みいただきありがとうございます。

次回は、【ヘアスタイルをめぐる母と子の攻防戦、勝利の女神はどちらに微笑む?】の後編をお送りする予定です。

 

と言いつつ、日本への一時帰国が近づいているので、それに関することを綴ってしまうかも?

 

それじゃ、またね。

 

 

 

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